
KKコンビでは一世を風靡、理想的な投球フォームとしても模範される桑田 真澄

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2019/04/23 12:28
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桑田 真澄(くわた ますみ、1968年4月1日 - )は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者・野球評論家、野球指導者。PL学園高校時代は清原和博とのKKコンビで一世を風靡し、プロ入り後は1990年代の読売ジャイアンツ(巨人)を、斎藤雅樹、槙原寛己とともに先発3本柱の一人として支えた。
1994 桑田真澄 8 セリーグ最多奪三振16個で完封
高校野球に「プロが混じっている」と言われた桑田真澄の投球
1992 桑田真澄 8 完封&自らホームラン打つ
format_quoteカーブを軸とした「コンビネーションピッチャー」の一人。174cmと小柄な体だったが、オーバースローからダイナミックに投げる140km/h台の速球(プロ入り後の最速は150km/h)、カーブ、シュート、フォーク(実際はSFFで、江川卓の「ラビットボール」に対抗して「サンダーボール」と命名して投げていた)、スライダー、遅いストレート(チェンジアップではない)、晩年にはチェンジアップを覚え常に研究を怠らなかった。打者や調子によって織り混ぜ、173勝を積み上げた。変化球に関しては高校時代はカーブしか投げておらずプロに入ってからもシュートを覚え、SFFを覚えと徐々に球種を増やしていった。これに関してはいっぺんに覚えて投げるより徐々に増やす事によって投手の寿命を伸ばす考えからである。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%91%E7%94%B0%E7%9C%9F%E6%BE%84
選手としての特徴