
【#落合博満】3回の三冠王は史上唯一、NPB史上最高の右打者の一人

1979年、プロ入り当時の監督・山内一弘はレベルスイングの本尊といえる人物でもあり、アッパースイングだった落合のバッティングフォームの矯正に取り掛かった。「ホースで水を撒く感じで打て」などのアドバイスを貰ったものの、落合自身は後年「当時の自分には山内さんの高度な打撃理論が理解できなかった」と述べている通り、山内から教わった打法ではボールが前に飛ばない状況であったという。チームメイトのベテラン捕手・土肥健二の、手首を使ってボールをはじき返す「神主打法」のフォームを真似し[21]、我流のフォーム改造を狙った[注 2]。土肥や得津高宏などの先輩選手を参考に、自身のバッティングを作り上げていった
format_quote落合の採用していた打法は、同じ神主打法を使用する他の選手と比べても独特であった。この打法はプロ入り間もない頃に受けた松沼博久の徹底した内角攻めに対応するため、改良を重ねて編み出されたものである。松沼は「最初のうち落合はインハイが全く打てず、ある時を境に苦手なはずのインハイばかり狙って振ってきた。そのうちインコースが投げ難い構え(神主打法)を編み出し、インハイを完璧にカットする技術を身に付けていた」と語っている。また、江夏豊から「ピッチャーは特定の球種を待たれるのが一番嫌なんだ、お前みたいにコロコロ狙い球を変えていたら一生俺からは打てない」と言われたことから、狙い球を絞り、インハイの力のある球に振り後れないよう打席ではインハイを待っていたという
プレースタイル
落合にしか打てない凄いホームラン
format_quote通算で510本の本塁打を放っているが、そのうちの176本は右翼への本塁打で、初の三冠王を取った1982年は32本塁打のうち20本が右翼への本塁打だった。アウトコースの球を払うように流し、本塁打にしてしまう技術に感嘆したスポーツライターの山際淳司は、スポーツ選手に関するエピソードを集めた『ナックルボールを風に』(1983年)という著書の中の「アウトコース」で、落合を取り上げている。しかし落合本人はインタビューにおいて、「俺の弱点はアウトローだった。俺ほど外の球を打つのが下手なのはいない」と語っており、事実、落合が得意としていたのは、インコースの球を広角に打つことであった。ライト方向へ多く飛ぶので「アウトコースは危ない。勝負するならインコース」と単純な考えから落合対策を練る他球団が増え、得意なコースばかりに球がきて苦手なコースにはあまり投げ込んでこず、落合本人はそのことをほくそ笑んでいたという
プレースタイル
落合博満「今日は打席に立つだけ」1986年オープン戦
落合博満 猛打爆発!!90オールスター&サヨナラ3ランホームラン~3冠王の打撃
format_quote三冠王:3回(1982年、1985年、1986年)※史上4人目、3回の三冠王は史上唯一
両リーグ200本塁打以上(パ247本、セ263本)
2年連続シーズン50本塁打以上(1985年 - 1986年)
シーズン得点圏打率:.492(1985年)
シーズン出塁率:.487(1986年)※NPB公式での日本記録。ただし、出塁数を採用していた時代のセ・リーグの記録に遡ると1974年王貞治の.534が日本記録となる。
シーズン打率.360以上:2回(1985年、1986年)※日本タイ記録、右打者では史上唯一
1試合6四球(1991年10月13日)
日本記録