ラリー・バード
format_quoteラリー・ジョー・バード (Larry Joe Bird, 1956年12月7日 - ) は、アメリカ合衆国・インディアナ州ウェストバーデン出身の元プロバスケットボール選手、元指導者であり、現在はNBAの球団役員。1980年代にNBAのボストン・セルティックスを3度の優勝に導いた。「the Hick from French Lick[1] (フレンチリックの田舎者)」や「Larry Legend[2] (ラリー・レジェンド)」の愛称を持つバードは、得点やリバウンド、アシストのセンスに優れ、正確な長距離シュートや試合の先を読む能力に秀でていた。しばしば史上最高のバスケットボール選手に挙げられ、史上最高のスモールフォワードの一人と考えられている[3]。
1979-80シーズンにNBA入りしたバードは、主にパワーフォワードとして出場し、セルティックスを前シーズンより勝ち星を32勝増やし、カンファレンス・ファイナルに導くなど、即戦力として活躍した。フォワードのケビン・マクヘイル、センターのロバート・パリッシュと共にキャリアの大半を過ごし、NBA史上最高のフロントコート軍団と言われた。NBAオールスターに12回選出、NBAファイナルMVPに2回、NBA最優秀選手賞に3年連続 (1984-1986) 受賞した史上唯一のフォワード選手である。またバードは「ドリームチーム」として知られる、1992年オリンピック男子アメリカ合衆国代表のメンバーでもあった。1996年にはNBA50周年記念オールタイムチームに選ばれ、1998年にバスケットボール殿堂入りを果たし、2010年にはドリームチームのメンバーとして再び殿堂入りを果たしている。2021年10月、NBA75周年記念した、NBA75周年記念チームに選出され、史上最も偉大な75人の選手の一人として称えられた[4]。
引退後はインディアナ・ペイサーズで監督を務めて最優秀監督賞を受賞、NBAファイナルに進出した。現在は同チームの特別顧問を務める。出典:Wikipedia
event_note 2022/02/14 13:14
【#ラリー・バード /選手名鑑】一世代に1人のスーパースター (—NBA公式サイト)
インディアナ州のウエストバーデンで6人の兄弟姉妹の4番目(兄弟は三人、姉妹は二人)として生まれる。少年時代のほとんどを同州のフレンチリックで過ごした。二人の兄にバスケットボールの手ほどきを受け、町のホテルで働く黒人の従業員とプレーすることもあった。
地元フレンチリックのスプリングス・バレー高校在籍時、学年が上がるとともに頭角を現していった。4年生の時には1試合平均で30得点、20リバウンドを上げ、各地の大学からスカウトされるようになった。
format_quoteバードは他の平均的なNBA選手と比べて身体能力・運動能力には恵まれていなかった。しかし、正確な技術とゲームの流れを読む能力に長けていた。特に中距離・長距離シュート、リバウンド、パス(アシスト)の技術に秀でていた。リーグ屈指のスリーポイントシューターであり、肩にボールを担ぐような独特なフォームで、多くのシュートを沈めている。バードほどの長身でこれほどまでにオールラウンドな選手は、マジック・ジョンソンくらいしかいなかった。試合の展開を正確に把握していたため、セルティックスの監督を務めていたビル・フィッチは、カメラのように毎回試合中の各場面を脳に記録するという意味でバードに「コダック」のあだ名を与えた。
「一世代に1人くらい、本当にスーパースターと呼べるような選手が現れる。」ラリー・バードがそのような選手だった。