古田敦也
format_quote古田 敦也(ふるた あつや、1965年8月6日 - )は、日本の元プロ野球選手(捕手)・監督、野球解説者、タレント、スポーツキャスター。兵庫県川西市出身。
選手としてヤクルトスワローズ→東京ヤクルトスワローズ一筋で現役を過ごし、名捕手として一時代を築いた。史上14位タイの8度の年間打率3割達成者で、シーズン盗塁阻止率.644と通算盗塁阻止率.462は日本記録。捕手としての生涯打率の日本記録保持者。ソウルオリンピック野球の銀メダリスト。出典:Wikipedia
event_note 2022/02/15 07:27
【#古田敦也】篠塚和典と青木宣親の共通点「バットの遅れがほしいなと思ったら、勝手にこうなった。」
篠塚和典「左手の小指を緩めて握る、バットが寝て最後まで残るため球に反応しやすい」
青木宣親「結果小指は握るけど、テイクバックではゆるい。バットの遅れがほしいなと思ったら、勝手にこうなった。」
教わったわけではなく、自分の考えで篠塚和典と同じところに辿り着いた青木宣親
【まとめ】篠塚芸術的バッティング集
【#古田敦也 /選手名鑑】シーズン盗塁阻止率.644、通算盗塁阻止率.462で日本記録
1991年、オールスターゲーム第1戦(東京ドーム)では相手走者の盗塁3度を全て刺し、MVPを受賞。シーズンでは落合博満との競り合いの末、最終戦に出場した古田が再逆転し打率.340で首位打者を獲得。首位打者を獲得した捕手は野村以来史上2人目、セントラル・リーグでは史上初であり、捕手による打撃3部門(打率、本塁打、打点)のいずれかのタイトル獲得は野村、田淵幸一に次ぐ史上3人目だった。
format_quoteかつて日本の野球界には「眼鏡を掛けた捕手は大成しない」という固定観念があり、古田も眼鏡を着用していた(乱視がひどく、当時のコンタクトレンズでは自身の眼球に合わなかったため、止む無く眼鏡を着用していた[11])ことから、大学時代には首位打者を獲得しながらドラフト指名から漏れ[6][54]、社会人からプロ入りする際にも「最大の欠点」と評されたが、プロ入り後は即戦力として活躍し日本球界を代表する捕手となった。古田は殿堂入りした際の「一番誇れる記録は?」という質問に、「記録っていうか、メガネをかけてやってこれたことかな。目が悪くてメガネかけたプロ野球選手はダメだって言われた時代なんでね。高校生を含めてけっこうたくさんの人に“メガネかけてるんですけど、おかげで野球を続けてます”と言われて、やった甲斐あったかなあと思いましたねえ」と述べている[6]。
正捕手として日本プロ野球名球会入りしているのは野村克也・古田・谷繁元信・阿部慎之助の4人のみである。野村は古田について、「初めてキャンプで見たときから、捕球や二塁への送球は天才的で、肩も強かった。当初はスカウトから『打撃には目をつぶってください』と言われたが、もともと頭のいい子だったから、投手の配球を読むことで上達し、2年目には首位打者も獲得した」と振り返り、賞賛している[44]。また、古田の性格については「大変強気で自信家、そして目立ちたがりのところもある」と分析し、「捕手の本能も持っているが、それと同じくらい投手に近い考えもある」珍しいタイプと評している
選手としての特徴