マジック・ジョンソン
format_quoteアーヴィン・\"マジック\"・ジョンソン・ジュニア (Earvin \"Magic\" Johnson Jr., 1959年8月14日 - ) は、アメリカ合衆国ミシガン州ランシング出身の元プロバスケットボール選手で現在は実業家。NBAのロサンゼルス・レイカーズで活躍した。史上最高のポイントガードと称され[1][2]、レイカーズで13シーズンプレーした後、1996年に「NBA史上最高の50人の選手」の一人として選出されている。
1980年代にラリー・バードやマイケル・ジョーダンらとともにNBAの世界的ブームを牽引したスーパースターであり、そのプレー、実績から歴代最高のポイントガード、ひいてはジョーダンやカリーム・アブドゥル・ジャバー等と並びNBA史上最高のプレイヤーの1人と評される。
選手時代にはNBAでポイントガードとしてプレーし、1980年代にロサンゼルス・レイカーズで5回の優勝に貢献する(1980年、1982年、1985年、1987年、1988年)。1991年にHIV感染を理由に引退。1996年にNBA50周年を記念した「歴代の偉大な50人の選手(NBA50周年記念オールタイムチーム)」に選ばれた。2002年に殿堂入りした。ポイントガードからセンターまで全てでプレーすることができたため身長によるポジションの概念を覆し、それまで得点の陰に隠れ目立たないプレーであったパスを派手で華やかなものに変え、今では花形プレーの1つとされるノールックパスを世に広めた革命的な存在であった。
また、レギュラーシーズンの通算勝率73.95%(670勝236敗)は18-19シーズン終了時にカワイ・レナードに抜かれるまで歴代1位であった。出典:Wikipedia
event_note 2022/02/14 13:33
【#マジック・ジョンソン /選手名鑑】「ノールックパス」生涯通算アシスト数 レイカーズ歴代1位
中学時代からすでに仲間内で一番の長身で、運動能力も抜群だった。一試合で48点をあげたこともあったという。その頃からミシガン州でも有名な黒人がほとんどを占めるセクストン高校への進学を夢見はじめる。バスケットの強豪校として知られる高校でプレーし、スターとなることが彼の当時の一番の夢だった。
format_quoteマジック・ジョンソンに関しては、パスの技術についての評価が高い。彼のパスは多彩であり、誰もが予想しないパスをしばしば見せた。全く見ていない方向に繰り出す、いわゆる「ノールックパス」を得意とした。更にノールックパスをする選手の中でも、パスの前に2度3度とフェイクを入れたり、レッグスルーやハンドリングなどの複雑な動きを絡めたりするノールックパスは彼独自のものである。特にパスの前のフェイクの巧さ、複雑さは凄まじく、めまいを誘うような連続シュートフェイク、パスフェイクに相手選手はわけが分からなくなりその場に棒立ちになってしまうことが多く、また相手選手のみならずカメラマンまで引っかかってしまい、まだボールを持っているマジックを画面から消してしまうこともあった。
プレースタイルと記録